ジャスミン革命から10年経ったチュニジアの経済
こんにちは。
今日は、チュニジア人の26歳男性Benさんにお話を伺いました。
York:チュニジアについて教えてください。
Ben:私は今もチュニジアに住んでいます。イスラム教がおよそ90%ですが、しっかりと政教分離しています。
York:言葉はどうですか?
Ben:私はアラブ語とフランス語、チュニジア語を話します。公用語はアラビア語ですね。
York:2010年にアラブの春が起こったのがチュニジアからでしたが、今はどうですか?
Ben:ジャスミン革命ですね。あの時は失業者の怒りが爆発しました。あれで、大統領は亡命し、政治的には民主化されましたが。以降も失業者の数は減らず、まだ経済は改善していません。中東の石油国とは違って、チュニジアからは石油が出ないのです。
York:仲のいい国はどこですか?
Ben:アルジェリアやイタリア、フランスとは良い関係を気づいています。パスポートがあれば、アルジェリアやリビアにすぐに行くことが出来ます。
メモ:
一青年の焼身自殺事件に端を発する反政府デモが国内全土に拡大し、ベン=アリー大統領がサウジアラビアに亡命し、23年間続いた政権が崩壊した事件です。ジャスミンがチュニジアを代表する花であることから、このような名前がネットを中心に命名されました。
チュニジアは2010年の経済成長率が3.8パーセントと、決して経済状況が悪いわけではなかったですが、失業率は14パーセント(日本は2.4% 2021年1月時点、これはG7で最も良い値)、若者層に限れば30パーセント近いという高い水準であったため、これらの世代では経済成長の恩恵を受けられないことに不満がたまっていたとされています。
くわえて、1987年に無血クーデターによって政権を獲得したベン=アリー大統領は、イスラム主義組織および労働者共産党に対し抑圧を行い、ある程度の経済成長は果たしたものの、一族による利権の独占といった腐敗が進むなど、23年にも及ぶ長期政権に不満がたまっていったという背景が暴動に結びついたとみられています。
この民主化運動はチュニジアにとどまらず、エジプトなどほかのアラブ諸国へも広がり、各国で長期独裁政権に対する国民の不満と結びつき、数々の政変や政治改革を引き起こした。こうした一連の動きはアラブの春と呼ばれています。
一連の暴動では情報共有のため、Facebookなどを通じたインターネットによる情報交換が力を発揮したほか、YoutubeやTwitter、WikiLeaksといったネットメディアも重要な役割を果たしたという意見がある一方、GoogleやFacebookなどのネットメディアがアメリカ政府の戦略に加担し、アラブの春を裏側で支援していたとの意見もあります。
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