DMM英会話で知る世界の国々

30代、在米、ニューロサイエンス研究、精神科医が考える世界を学ぶ最も良い方法

アフリカでのHIV流行について聞いてみる

こんにちは。

今日は、南アフリカ人の24歳男性Ahmedさんにお話を伺いました。

 

York:お住まいは南アフリカですか?

 

Ahmed:いいえ、私はフィリピンのルソン島に住んでいます。

 

York:南アフリカと比べてフィリピンはどうですか?

 

Ahmed:気候が大きく違います。南アフリカの方が暑いですね。まあ、私は山に住んでいるからかもしれませんが。私は、エジプトやサウジアラビアなどいろんな国に住んでいたことがあります。また、フィリピンは景色がいいですね。きれいなビーチが多いです。

 

York:アフリカ出身の方に前から聞きたかったことが一つあるのですが、アフリカではなぜHIVの患者さんが多いのでしょうか?

 

Ahmed:そうですね。まず、患者数は国や地域により異なります。私の生まれ育った街は比較的裕福で、HIVの友人、知り合いはいませんでした。


York:では、貧困が一つの原因でしょうか?

 

Ahmed:お金がない女性が、性労働でお金を得ることはアフリカではよくあることです。それに応じて男の患者数も増えます。

 

York:学校での性教育はありましたか?

 

Ahmed:私の場合はちゃんとしたものはなかったと思います。昔の話ですが。ただ、HIVの知識自体はだいたいみんな持っています。

 

York:コンドームなどの避妊具はあまり使用されていないですか?

 

Ahmed:あまり使用されていません。スーパーに行けば売っていますが、安くはありません。何よりも問題なのは性的刺激が減ることです。

 

 

メモ:

 アフリカのエイズの特徴として、主な感染経路が異性間性交渉であるということです。つまり女性の感染者が割合に多く、母子感染(胎内、出産時、授乳時)とエイズ孤児の増加をもたらし、社会に与える負担は大きくなります。

 そもそもアフリカでエイズが流行した原因には、性交渉開始が若年傾向にあること、複数のパートナーを持つこと、コンドームを使わないことなどが行動学的立場から指摘されています。また、HIVに感染する以前に別の性感染症を患っている人がアフリカには多く、そのような人はHIV感染率が一般人より上昇します。
 Ahmedの指摘するように貧困も一つの大きな原因であり、貧困対策、女性の地位向上などが社会構造的に必要な対策とされています。

レソトという南アフリカ内部の国

こんにちは。

今日はレソト人の34歳女性Deekayさんにお話を伺いました。

 

York:初めまして。レソト南アフリカの内側にある国ですね。

 

Deekay:そうですね。私はこの国が大好きです。

 

York:南アフリカとはまた違う国だと思いますが、どういう点があるでしょうか?

 

Deekay:南アフリカに比べて平和で、家族の結束がとても強いです。南アフリカはすでに先進国ですが、レソト発展途上国です。とても貧しいです。

 

York:福祉はどうですか?

 

Deekay:教育も医療も高額です。私は34歳ですが、子供が6人いるのでお金がかかりますね。

 

York:今も子供は1家庭6人が平均ですか?

 

Deekay:そんなにいませんね。平均は2人くらいだと思います。

 

York:趣味はありますか?

 

Deekay:わたしは旅行が大好きです。ボツワナスワジランドモザンビークに行ったことがあります。一番良かったのはモザンビークです。海がとてもきれいでした。

 

York:コロナの状況はどうでしょうか?

 

Deekay:コロナの状況は南アフリカと同じく厳しい状況です。仕事のため多くの人が国教をまたいでいますが、国をまたいだ際の隔離のルールをみんな守っていません。

 

メモ:

 レソトレソト王国が正式名称であり、「レソト」とは「ソト語を話す人々」という意味があります。この地域は砂漠に住む狩猟採集民族で「地球最古の人類」として有名なサン族のかつての居住地でしたが、バントゥー系ソト族に16世紀に駆逐されました。レソトは、周囲を南アフリカ共和国に囲まれた内陸国です。いったん周囲の南アフリカ共和国を経由しないと行き来できない地域すらあるため、「アフリカのスイス」ともいわれています。国家元首は国王であり、王位はセーイソ家による世襲制です。

 教育に関しては、1966年の独立直後から特に初等教育に力を入れており、教育の男女格差が最も少ない国家の一つとされています。なお、2015年時点で国家全体の識字率は79.4%です。特筆すべきは女性の識字率は88.3%に達するのに対して、男性の識字率は70.1%にとどまっていることです。

 HIV(ヒト免疫不全ウイルス)感染者は1990年代以降激増し、国民の約1/4がHIV感染者です。そのため、2019年時点で平均寿命は50.7歳(男性:47.7歳、女性:54.2歳と世界で最も低く、成人死亡率が世界でもっとも高い国となっています。

引用:

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

タジキスタンからUAEへと留学した女性

こんにちは。

今日はタジキスタン人の24歳女性Yasuminさんにお話を伺いました。

 

York:タジキスタンにお住まいでしょうか?

 

Yasumin:いいえ、今はマレーシアに住んでいます。15歳で親元を離れ、UAEのハイスクールへと進学しました。大学を選ぶ際もタジキスタンに戻ることなくUAEにとどまり言語を学びました。タジキスタンは元はソ連なので、ロシア語が有名です。

York:UAE多民族国家ですね?

 

Yasumin:そうですね。人口は1100万人ですが、800万人は外国人というすごい国です。国籍が160あるといわれています。

 

York:すごいですね。

Yasumin:私は今は親とマレーシアに住んでいますが、夫の仕事で4年程度しかここにとどまることはありません。これからもいろんな国へ行くことになると思います。

 

ナイジェリア人とそれぞれの国の自殺について話す

こんにちは。

今日は、ナイジェリアの36歳男性Peteさんにお話を伺いました。

 

York:こんにちは。私は日本の精神科医です。ナイジェリアでは精神科医は多いですか?

 

Pete:ナイジェリアではとても少ないですね。どのように診察をするのですか?

 

York:まず、その人の話や家族の話や本人の様子から診断基準に照らし合わせて診断をします。その診断に基づいて治療を開始します。薬物療法を行うことも多いですね。そちらでは自殺は多いですか?

 

Pete:毎日ありますね。この国は1日1ドル以下で過ごす人がとても多いのです。ナイジェリアはアフリカの中でも特に自殺が多いです。

York:日本も実は自殺が多い国の一つです。

Pete:私はそれを以前に聞いたことあるのですが、混乱しています。日本はとても豊かな国ですよね。政治も経済も医療もしっかりとしている。

York:自殺の誘因となるのは経済的な豊かさだけではないということだと思います。日本は、他の先進国と比べても若者や中年の自殺が多い国です。もちろん非雇用者で自殺の確率が上がることは確かなのですが、日本には生活保護という最低限の生活を送るためのシステムが存在しています。それはしっかりと機能してもいます。しかし、職を失うということで自殺のトリガーとなってしまうのです。

Pete:ナイジェリアは毎日人が自殺しています。

 

York:日本では平均して60人ほどが毎日自殺しています。これでも減った方です。

Pete:その数字はcrazyですね。ナイジェリアは、、、なかなかデータが出てこないですね。

York:日本は月ごとに自殺者数が集計され、翌月には公表されています。

 

Pete:細かいですね。改めてですが、なぜそんなに自殺が多いのでしょうか?

York:日本独特の社会の在り方も関係していると言われています。全体で協調しようとする傾向にある社会ですが、これは逆を言うと自分の考えを表現したり、優先することが許されない、生きづらいものにも時としてなりうるのです。アメリカに来ると、その差に気づきます。自殺の手段は銃が多いですか?

 

Pete:銃はあまり使用しません。首吊りと殺虫剤が多いですね。

York:首吊りは日本でもよくみられます。

スリランカ出身の中国医学部学生

こんにちは。

今日はスリランカの女子医学生Nimashiにお話を伺いました。

 

York:こんにちは、大学はスリランカでしょうか?

 

Nimashi:私は中国の四川大学に行っています。ですが、コロナウイルスの影響で今はスリランカに一時帰国しています。国際学生とローカル学生で完全に中は分かれています。建物は同じですが。

 

York:そうなんですね。完全に分かれているものなんですね。中国人が英語で外国人を指導できるのは、日本よりも進んでいますね。将来はスリランカに戻るつもりですか?

 

Nimashi:先生たちは英語が上手ですね。私は今4年生ですが、ここで取った医学部卒業の資格はスリランカや、オーストラリアなんかでも使用できます。

 

York:病院での実地研修はどうやっていますか?

 

Nimashi:私は指導医の隣で見学したり、私自身が覚えた中国語で患者さんに接します。私達も大学1年生の時より中国語の勉強をしているのです。

 

大国間の政治に翻弄されるアフガニスタン

こんにちは。

今日はアフガニスタン出身の30歳男性Mehdiにお話を伺いました。

 

York:住んでいるのはアフガニスタンからでしょうか?

 

Mehdi:いいえ。私はインドネシアに住んでいます。毎年9か月はこちらで過ごし、残りはアフガニスタンで過ごしています。ビザの関係上、1年中いることができないのです。

 

York:インドネシアも同じイスラム教の国ですね。

 

Mehdi:そうですね。ただし、私はシーア派なので少し珍しいです。

 

York:シーア派スンナ派で生活上の大きな違いは何ですか?

 

Mehdi:シーア派は、ざっくり言うと、現代的でカジュアルな感じです。スンナ派はとても規律正しい一方で、シーア派では1日3回しかお祈りをしないですし、服装もラフです。お祈りの作法自体もラフですね。

 

York:そうなんですね。アフガニスタンではもっと厳しいですか?また、アフガニスタンの国内情勢はどうですか?

 

Mehdi:そうですね。こちらに来て思いますが、アフガニスタンはまだ平和から遠いです。アメリカとロシア、中国の3か国にいつも干渉されています。特に、アメリカのせいでタリバンアルカイダもここで生まれました。

 

メモ:

 アフガニスタンアフガニスタン・イスラム共和国というのが正式名称であり、国の標語は、「アッラーフの他に神はなし。ムハンマドアッラーフ使徒である。」となっています。ソ連崩壊後に内戦が続いていたアフガニスタン軍閥による暴行、略奪が横行していた中、1994年にイスラム教の戒律を厳格に重んじる、イスラム神学校の学生(アラビア語タリバーン)を中心とする集団、タリバーンが勢力を伸ばしました。

 当初はアフガン市民に歓迎されるも、服装、あらゆる娯楽、教育などの規制事項が多く、やがて受け入れられなくなりました。それでもタリバーンは元大統領を公開処刑し、首都カーブルを占拠し、国内を実効支配するようになります。アル・カイーダを客人として迎え入れてからは周辺諸国からも孤立してしいました。

 2001年の米国同時多発テロ事件を機としてアル・カイーダとタリバーンに対してアメリカから軍事行動がなされ、タリバーン支配地域を奪還しました。2004年1月には新憲法が制定され、2014年にはアフガニスタン史上初の民主的な政権交代が実現しました。

セルビアの船乗りカメラマン

こんにちは。

今日はセルビアの40歳男性のBojaさんにお話を伺いました。

 

York:セルビアでのお仕事を教えてください。

 

Boja:私は船上カメラマンです。

 

York:セルビアに海はありますか?

 

Boja:いえ、ありません。隣の国のモンテネグロアドリア海があり、そこから地中海に出ます。

 

York:仕事は大変ですか?

 

Boja:そうですね。10か月連続で船で過ごし、休日もありません。その後に休みがまとまってとれます。

 

York:すごいですね。アジアは来たことありますか?

 

Boja:いいえ。大体地中海と大西洋ですね。

 

York:苦手な経路とかありますか?

 

Boja:カリブ海に行くまで大西洋を横断しますが、ポルトガル領の島を出ると、1週間何もない日が続きます。船が揺れるので怖い場所もあります。不安の中、徐々に湿った暖かい風とかんかん照りの太陽が出てくるとカリブ諸島が近い証拠です。その時にやっと安心しますね。