インドのカーストと日本の年功序列を比べる
こんにちは。
今日はインド人の29歳男性Rishさんに話を伺いました。
York:コロナウイルスがインドではひどい被害をもたらしていると聞きました。
Rish:そうですね。私も5日前にコロナ陽性となりました。発熱と咳で今まで休んでいました。仕事はもともと家でやっていましたが、今は家の中でも隔離となっています。
York:そうなんですね。ワクチンは導入されていますか?
Rish:私は打っていませんが、最近私の町では18歳以上であればだれでも打てるようになりました。私も隔離が終われば打とうと思います。国外に出る際にはワクチンの接種歴があった方が良いので。
York:それは早いですね。ところでカーストについて教えて頂きたいのですが、今もこの制度は機能していますか?
Rish:もちろん機能していますが、昔ほどではありません。それは教育の普及や、テクノロジーの進歩などがあるからです。ただ、なくなることはないでしょう。一部の層が優遇されるのに、このカースト制はとてもよい説得材料になるのです。
York:なるほど。少し意味は違いますが、日本では年功序列というものがあります。例えば会社の中で、目下の人間が目上の人間に意見をすることは、序列を乱すこととして捉えられる事ががあります。インドでは、カーストの上の者に対して、意見が言いにくくなる、ということはあるのでしょうか?
Rish:もちろんケースバイケースですが、基本的には自分の意見をいう事にカーストの上下は関係ありません。特にビジネスシーンでは、オープンな意見交換が行われています。カーストには細かい取り決めがありますが、それ以外の部分では基本自由です。
メモ:
最近の都市部ではカーストの意識も曖昧になってきており、ヒンドゥー教徒ながらも自分の属するカーストを知らない人すらもいるようですが、農村部ではカーストの意識が根強く残り、その意識は北インドよりも南インドで強いようです。なお、インドでは、憲法により、カースト全体についてカーストによる差別の禁止を明記しています。
日本で普及している仏教は、インドが発祥です。仏教の開祖である釈迦は、カースト制度に強く反対して一時的に勢力をもちましたが、5世紀以後に勢力を失ってしましました。一方で、カースト制度はヒンドゥー教の教義として大きな力をつけ、より社会的に強い意味を持つようになりました。インドの仏教は、衰退していく過程でヒンドゥー教の一部として取り込まれてしましい、釈迦は「ヴィシュヌ神の生まれ変わりの一人」であるとされ、彼は「人々を混乱させるためにやってきた」ことになってしまいました。そのため、仏教徒はヒンドゥー教の最下位のカーストに取り込まれていったとされています。
インド人は日本同様に敬老精神が強く、カーストという身分制度があるにもかかわらず、意見を言うという点においてはかなり自由であるとされています。一方で日本では、年長者に意見することは口答えとして慎まなければならないという風潮があるだけでなく、行動、思考、意見の発表までもが序列意識に強く支配されています。学問領域においても、その集まりの中に師弟関係にある人々がいる場合、序列の影響を受け、純粋な討論ができない場面があります。
感想:日本人は序列意識の強い国民であり、インドのカーストも似たものではないかと漠然と考えていましたが、インドの方がオープンで、能力主義、実力主義が浸透しているようでした。
引用:
中根千枝. タテ社会の人間関係 単一社会の理論 (講談社現代新書)