サマルカンド出身の留学生と話す
こんにちは。
今日は、タジキスタンに住む、ウズベキスタン人の24歳大学生のNaiさんにお話を伺いました。
York:海外の大学に行かれているのですね。
Nai:そうですね。今4年生で、環境科学でバチェラーを取ろうと思います。ここは私立の国際大学で、アフガニスタンやパキスタン、シリアやキルギスなどの国から学生が集まっています。
York:タジキスタンは中央アフリカでは高等教育が強いのでしょうか?
Nai:そういわけでは必ずしもないです。
York:タジキスタンは住みやすいですか?
Nai:そうですね。おなじイスラム文化です。しかし、ウズベキスタンはオリジナルはトルコで、タジキスタンはイラン、つまりアーリア人です。なので言語は根本的に違います。
York:なるほど。Naiさんのウズベキスタンでのホームタウンはどこですか?
Nai:サマルカンドです。
York:中国から最初に製紙法が持ち込まれたところと歴史で習いました。
Nai:そうです。歴史上、交易の要所で多くの国がサマルカンドにやってきました。今も歴史的な街並みが残っていて、そこらじゅうで補強工事が行われています。ソ連時代には多くのタジキスタン人もそこに住んでいました。しかし、地理的な距離からウズベキスタンに組み込まれました。
メモ:
ウズベキスタンは世界に2つしかない二重内陸国の一つです。(もう一つはリヒテンシュタイン公国)また、海と繋がる河川がない「内陸流域」という特殊な環境にあります。このため国土の10%にも満たない灌漑農業用地や河川流域のオアシスに似た土地で集中的に農業が行われているのみで、残りの国土は広大な砂漠と険しい山々で占められています。かつて世界で4番目に大きい湖だったアラル海が、周辺地域の湿度を保ち、農業が行えている大きな要素でした。しかし、ソビエト連邦時代に綿花の生産のため過剰な水の利用が行われ、水量は1/3にまで低下してしまい、深刻な水質汚濁と土壌汚染が発生しています。
サマルカンドでは712年にクタイバ・イブン・ムスリムによってウマイヤ朝のアラブ連合軍に征服され、イスラム化が始まりました。奈良の大仏が完成した頃の751年、唐とアッバース朝の中央アジアの覇権をかけたタラス河畔の戦いがありました。そこで捕虜となった製紙職人によって、759年にイスラム世界で最初の製紙工場がサマルカンドで営まれたとされています。
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