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アメリカ”新大陸”最初の植民地都市 サントドミンゴ

こんにちは。
今日はドミニカ共和国の33歳のJavierさんにお話を聞きました。

 

York:こんにちは。ドミニカ共和国について教えてください。

Jav:ここは元はスペインの植民地でした。そのため、今でもスペイン語が話されています。イスパニョーラ島という同じ島の中に、ハイチという元フランス領の国もありますが、文化は全く異なります。

 

York:ドミニカ共和国はコロンブスが訪れた島ですね?

 

Jav:そうです。彼が最初に訪れた島がこのイスパニョーラ島です。そして植民地の時代が始まりました。私は首都のサントドミンゴ出身ですが、市の大部分で植民地時代の建造物や街並みが保存されていて、世界遺産に登録されています。有名な広場にはクリストファーコロンブスの銅像が建ち、彼の遺体は大聖堂に安置されています。

 

York:歴史がある街なんですね。主な産業は何ですか?

 

Jav:観光ですね。パンデミックの前は毎年800万人の外国人がこの島に訪れていました。私は、この国の穏やかさが好きです。仕事でニューヨークに住んでいたこともありますが、とてもあわただしくて息の詰まる場所でした。

 

メモ:

 ドミニカ共和国はスペイン語で「スペインの島」という意味の、イスパニョーラ島にあります。一人当たりのGDPは世界水準の60%程度であり、アメリカに出稼ぎにくる労働者が多いようです。観光が経済成長にとっての重要な産業で、Javの言う、サントドミンゴの世界遺産Zona Colonialは有名です。日本に関係することとしては、日系移民の募集が独裁者トルーヒヨ大統領によって1950年代に行われ、募集要項とは異なる悪い条件の場所で多くの入植者が働かされたという歴史があります。

 1492年8月にインドを目指してコロンブスは大西洋へと出ました。当時の科学で、地球が球体であることはほぼ常識となっていましたが、船員の間でも平面とする考えが根強く残っていたそうです。2か月かけて、どこにも到達できず、不安がピークに達した時期についに一つの陸地を発見します。彼は、この島をサンサルバドル(聖なる救世主)と名付けます。そこで彼はインディアンに初めて接触します。武器をもたず、物を所有するという概念が乏しく、たくましい体つきをしたインディアン達に対して、コロンブスは「彼らは素晴らしい奴隷になれる」と書き残しています。その2か月後、イスパニョーラ島に到達し、ここを起点にして、その後インディアンへの大量虐殺が始まります。

 

 現在では、コロンブスがアメリカを発見したというのは、「”発見”などしていない」という見解で歴史家は一致しています。「”発見”ではなく、”遭遇”である」「互いに相手を”発見”したのだ」など様々な主張があります。しかも、現在ではヴァイキングがコロンブスよりも前の時代にアメリカ大陸に到達し、その地をヴィンランドと呼んでいた事実が定説化されています。他に、古代ポリネシア人、エスキモーなどのアメリカ大陸以外の住人がアメリカ大陸に来訪したのも、コロンブスよりもっと先にあったとされています。

 

 多文化主義的な観点からは「コロンブスは何百万人もの先住民殺戮の責任者である」という見方もあり、2020年ミネアポリス反人種差別デモ(Black Lives Matter)が拡大すると、各地のコロンブス像も先住民の虐殺者の像として襲撃の対象となりました。

 

引用:

ja.wikipedia.org

ja.wikipedia.org

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